読書感想文10:「強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話」
強烈なオヤジが高校も塾も通わせずに3人の息子を京都大学に放り込んだ話 (一般書)
- 作者: 宝槻泰伸
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2014/08/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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以前、story.jpというサイトで本書の小出しエピソードをたまたま読んで、これは絶対に書籍化してほしいと思ったら、本当に書籍化されてました。
なんかまったく関係者じゃないけどうれしい。
一言で本書を乱暴にまとめると、、、、
「ぶっ飛び親父と愉快な子供たちとの教育実験物語」って感じですかね。
すいません、ふざけすぎましたw
あくまでも、現行の教育という枠組みの中で考えると、
本書のぶっ飛び親父のやり方は常軌を逸していると感じますが、
案外、教育の本質をついているところがまたなんかニクイです。
たとえば、ぶっ飛び親父の名言集はこんな感じ↓↓
「学校よりもクリエイティブな1日にできるなら無理に行かなくても
←親が自分の子に言うのはなかなか勇気要りますが、時にはこうした勇気は大事かなと思います。
「学校に頼って勉強するのではなく自分で勉強を組み立てろ」
←頼ってしまうと、何か躓いたときに人のせいにしてしまうので。。。
自分で好き勝手にやって、最後はしっかり自分で責任をもつことが大切かと。
「親は反面教師でちょうどいい」
← 親は良い反面教師であり、そして良い踏み台だと思います。
「親も一緒に試行錯誤」
←子どもにだけ○○をしなさいとしつけるのはやっぱりアンフェアですよね。
ともに学びともに成長するのが自然の摂理に見合っているかと。
「学校が得意とするのは標準化教育、学校が不得意なのは探求型の学び」
←探究型の学び、結構流行っているみたいですね。
学校でなんでもやってくれる「神」的な存在ではないので、家庭学習と独学をきちんとやったほうがいいのかなと思います。
本書の中でちょっと気になったのは、
息子の友達・サッカー少年の「オーハラくん」がぶっ飛び親父のスペシャル教育によって三浪の末、京都大学に無事合格するというエピソード。
オーハラくんはサッカー漬けの毎日でまともに勉強したことがなかった。
ある模試での国語の偏差値は5というありさま。
そこから頑張って京都大学へ。
一見すると、ものすごーく感動的なサクセスストーリ。確かにすばらしいことだと思う一方で、ここで果たして三浪してまで大学に行く価値は本当にあるのだろうかという疑問が自分の中に勝手にフツフツ湧き起ってしまっています。
なんでこんな勝手な問題提起をしたかというと、
テクノロジーの発展のお陰で、一昔前に比べると信じられないくらい多くの有益な(もちろんほとんど無益な)情報にアクセスできるようになってきました。
パソコンとちょっと英語ができれば、それこそ世界最高峰の知へ簡単にアクセスできます。しかも無料で!!!
そうすると学校に行く意味とか、卒業証書の価値とかってひと時代前に比べると明らかに劣化しているように思うんですよね、勝手に。
リーマンショック以降、アメリカや日本などでは奨学金ローン地獄でとんでもない目にあったり、卒業しても仕事を見つけられなかったりと、
多くの人が教育に高額な費用をかけてもまったくペイしない現実を突きつけられています。
そういうのをも踏まえて、自分の子供に学校へ行く価値はあるよって軽いノリではなかなか言い切れないなあと思うも今日この頃です。